原典:米山正信『有機電子論解説 — 有機化学の基礎』第2章(p.14〜28)INDEX | ← 前へ 01_水素原子と炭素原子 | 次へ → 03_多重結合と分極
覚える前にこれだけ:有機化学の「形」はすべて混成軌道が決める。sp³ = 四面体(109.5°)、この形が次章以降の空間議論の基準になる。
01_水素原子と炭素原子で「電子は軌道に住む」と学んだ。では、原子どうしが 手をつなぐとき、軌道はどうなるのか。ここが2章のテーマだ。
「混成」を理解しないと「なぜメタンが正四面体なのか」が説明できない。そして「なぜ全4本の C–H 結合のエネルギーが同じなのか」が分からないままになる。この章は「有機化合物の形」の根拠を与える章である。
炭素の価電子は 1s² 2s² 2pₓ¹ 2p_y¹(01_水素原子と炭素原子で確認した)。2s と 2p ではエネルギーが違う(2s は −21.4 eV、2p は −11.4 eV)。もし混成なしに結合を作るなら、2s 由来の結合と 2p 由来の結合でエネルギーが違うはずだ。
ところが実験では メタン CH₄ の4本の C–H 結合はすべて同じ強さ。これは「2s と 2p が混じり合って 4 個の等価な軌道になった」以外に説明できない。
1 個の 2s 軌道 + 3 個の 2p 軌道 → 4 個の等価な sp³ 混成軌道

sp³ 軌道のエネルギーは 2s と 2p の中間(−13.9 eV)。重要なのは「等価で、かつ互いにできるだけ離れる」という点だ。
💡 なぜ離れるのか同じエネルギー準位の軌道は互いに干渉しないように分散する。4本の矢を最大限に分散すると → 正四面体の中心から4隅に向かう配置になる。その角度が 109.5°(= 109°28')。これがメタンや炭化水素骨格の基本角度だ。
炭素の各混成軌道のエネルギー準位をまとめる:
| 軌道 | エネルギー |
|---|---|
| 2p | −11.4 eV |
| sp³ | −13.9 eV |
| sp² | −15.4 eV(03_多重結合と分極で登場) |
| sp | −16.4 eV(03_多重結合と分極で登場) |
| 2s | −21.4 eV |
🔑 s の比率が高いほどエネルギーが低く(安定)、結合がより強くなる。sp > sp² > sp³ の順に安定 — この順番は03_多重結合と分極の C–C 結合エネルギーの話で再登場する。
C の 1 個の sp³ 軌道(電子 1 個)と H の 1s 軌道(電子 1 個)が近づく。位相が同じ部分が重なり合う と、2 個の電子が両核を共有する 分子軌道(MO) が形成される。

この結合が成立すると、重なりのエネルギーだけ系全体が安定化する。これが 結合エネルギー(bond energy) の正体だ。
C・ + H・ → C–H + 結合エネルギー(約 414 kJ/mol)
逆に C–H を切断するには、この量のエネルギーを外から加えねばならない。
結合ができると、2 個の電子はもはや C のものでも H のものでもなく、C と H に同時に属する共有電子(covalent electron)になる。
分子軌道(MO)の立場では:

🔑 **σ* は今は空席のまま**。しかし光を照射すると、電子が σ から σ* へ励起される。これが23_光励起(光化学)で重要になる。
軌道には 位相(+/−) がある。
| 組み合わせ | 結果 |
|---|---|
| 同位相どうし(○ + ○) | 重なって安定化 → 結合性 MO |
| 逆位相(○ + ●) | 打ち消しあって不安定化 → 反結合性 MO |

この「位相の一致」という考え方は、14_分子軌道法HMO(MO法)・15_ペリ環状反応(ペリ環状反応)で決定的に重要になる。
sp³ 混成の C は4本の軌道を持ち、電子を8個まで収容できる。これが オクテット則(octet rule) の電子論的根拠だ。
C: 4つの sp³ 軌道 × 電子2個/軌道 = 最大8個
H: 1s 軌道 × 電子2個 = 最大2個(K殻完成)
💡 オクテット則の意義オクテットが満たされると Ne(または He)と同じ閉殻配置になる。閉殻は反応しない — これが「飽和すれば安定」という経験則の根拠だ。
アンモニア NH₃ と塩酸 HCl の反応を考えよう:
NH₃ + HCl → NH₄⁺ + Cl⁻
N の価電子は 2s² 2p³。3個の p 電子が H と結合した後、2s² の非共有電子対(lone pair) が残る。この非共有電子対が H⁺(プロトン)を受けとる。
N: + H⁺ → N→H (→ は配位結合)

🔑 非共有電子対が「攻撃の武器」になる。これが05_酸と塩基(酸塩基)・06_脂肪族の置換反応以降(置換反応の求核剤)で繰り返し登場する核心概念だ。
O の価電子:2s² 2p⁴(2pₓ¹ 2p_y¹ 2p_z²)2 個の不対 p 電子が H と結合 → H–O–H 角は理論上 90°(純粋な p 軌道使用)。
しかし実際は 105°。理由:
O–H 距離は 96 pm。

ヒドロキソニウムイオン H₃O⁺ の H–O–H 角は約 112°(sp³ に近いが非共有電子対が 2s 軌道により安定化)。
H–N–H = 106.8°(理論上の 109.5° より小さい)。N の非共有電子対が大きな「場所」を占め、H を押し縮める形になるためだ。
量子化学計算によると:
| イオン | 中心原子の電荷 | H の電荷 |
|---|---|---|
| NH₄⁺ | N: 約 −0.4e | H: 約 +0.35e ×4 |
| H₃O⁺ | O: 約 −0.1e | H: 約 +0.37e ×3 |
中心の N や O は負に帯電し、正電荷は H が担っている。NH₄ではなく ⁺NH₄ と書くべき、というのはこのことだ。
| 分子 | 結合角 | 結合距離 |
|---|---|---|
| CH₄ | H–C–H = 109.5° | C–H = 101 pm |
| C₂H₆(エタン) | H–C–H ≈ 108.5°、H–C–C ≈ 110° | C–H = 108 pm、C–C = 154 pm |

エタンでは C–C 結合が sp³–sp³ 軌道の重なりによる σ 結合。154 pm という距離は C–C 単結合の基準値として03_多重結合と分極で活用される。

一重結合(σ 結合)の特徴をまとめる:
σ 結合
├─ 2 個の電子(スピン逆向き) がペアになって両核を共有
├─ 結合軸方向に軌道が重なる(s–s、s–sp³、sp³–sp³ など)
├─ 結合を軸に自由回転できる(これが配座異性体の原因)
└─ C は 4本、N は 3本、O は 2本、ハロゲンは 1本
非共有電子対は結合に参加しないが配位結合(→)を形成できる
🔑 σ 結合は「結合軸上の重なり」。次章で登場する π 結合は「結合軸の横の重なり」と対比させること。この2種類の結合の性質の違いが、有機化学の反応性の違いを決定的に規定する。
A. ダメではないが、そうすると s 由来の結合と p 由来の結合でエネルギーが違うはずで、メタンの4本の C–H 結合が等価であるという実験事実と矛盾する。混成は「等価な結合が存在する」という実験事実を説明するために必要な概念だ。
A. 混成に使った p 軌道の数。sp³ = s が 1 個 + p が 3 個を混ぜた軌道。sp² なら p を 2 個使用(03_多重結合と分極)、sp なら p を 1 個使用(03_多重結合と分極)。
A. 軌道は「部屋」であり、空でも存在する。通常は空席だが、光を当てると σ から σ* へ電子が励起される(光化学反応 = 23_光励起・24_光化学反応)。また反応遷移状態の議論にも登場する。
A. 形成のされ方が違う。普通の共有結合は双方から電子を1個ずつ出す(C・+H・)。配位結合は一方が2個の電子を提供(N: + H⁺ → N→H)。しかし、できてしまえばどちらの N–H 結合も区別できない(NH₄⁺ の4本は等価)。
A. 第2周期(C, N, O, F など)では原則成立する。ただしリン P(3s, 3p に加えて 3d も利用)やイオウ S では10個以上の電子を抱える超原子価が可能。有機化学の主役元素では基本的に成立する。
A. 純粋な p 軌道どうしは 90° で直交する。しかし H が δ⁺ を持つので H–H 間の静電反発が生じ、角が広がる。さらに非共有電子対の軌道も sp³ 的な混合を起こして角を広げる。非共有電子対の「押しの強さ」は、H が作る結合よりも大きいため、実際には 105° に落ち着く。
炭素の混成
2s + 2p³ → 4個のsp³軌道(正四面体、109.5°)
2s + 2p² → 3個のsp²軌道(平面三角形、120°) ← [[03_多重結合と分極]]へ
2s + 2p → 2個のsp軌道(直線、180°) ← [[03_多重結合と分極]]へ
σ 結合(一重結合)
軌道の重なり(位相が同じ) → 結合性MO σ(安定化)
→ 反結合性MO σ*(不安定化、空)
2個の電子がスピン逆向きに入る → 共有電子対
各原子の手の数
H: 1本(K殻2個で閉殻)
C: 4本(オクテット達成)
N: 3本(非共有電子対1対残)
O: 2本(非共有電子対2対残)
F: 1本(非共有電子対3対残)
非共有電子対 → 配位結合を形成できる(NH₃ + H⁺ → NH₄⁺)
この章のキーワード:混成軌道(sp³)/ σ 結合 / 結合性MO / 反結合性MO(σ*)/ 共有電子対 / オクテット則 / 非共有電子対 / 配位結合 / 位相 / 四面体角(109.5°)
🎯 次のノートを読む前にエタンの構造(C–C = 154 pm、C–H = 108 pm、H–C–C = 110°)を何も見ずに書けるか確認。また「sp³ 混成なのになぜ 109.5° ぴったりではなく 108° なのか」を自分なりに説明してみること。
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