原典:米山正信『有機電子論解説 — 有機化学の基礎』第24章(p.354〜366)INDEX | ← 前へ 23_光励起 | 次へ → 25_いくつかの反応
覚える前にこれだけ:光化学反応は「熱反応の選択則を逆転させる手段」と覚えよ。熱では禁制の反応が光では許容に、許容の反応が禁制になる(WH則)。
23_光励起で「光が分子に吸収されて S₁ や T₁ になる」ことを学んだ。では、その励起状態から実際にどんな化学反応が起こるのか?
本章はその実例集だ。
| 状態 | C-C 距離 | 分子形状 | 結合次数 |
|---|---|---|---|
| S₀(基底) | 135 pm | 平面 | 二重結合 |
| S₁(励起一重項) | 144 pm | 90° ねじれ | 一重結合に近い |
| T₁(励起三重項) | 144 pm | 90° ねじれ | 一重結合に近い |
参考:エタン H₃C-CH₃ の C-C 距離は 154 pm(σ一重結合)。S₁ と T₁ では C-C 距離が伸び「π結合がほぼ消えた」状態になる。一重結合ならば自由回転できる → E/Z 異性化が起こる。

前章(23_光励起)で光増感でのスチルベン異性化を述べた。本章では直接励起の場合:
💡 光異性化の実用例アゾ化合物(N=N)の光異性化も同じ機構。式(1)の反応では N=N が N-N に変わり 90° 回転後に Z 体が生成。光スイッチング材料(光制御の on/off デバイス)はこの原理を利用する。
(C₆H₅)₂C=O + (C₆H₅)₂CH-OH → (C₆H₅)₂C(OH)-C(C₆H₅)₂OH
[1] 生成物
機構:
フロンティアMOの観点:
ベンゾフェノン(BP)とジフェニルアミン(DPA)の反応:
BP →(hν)→ ³BP(T₁状態)
³BP + DPA → (BP⁺···DPA⁻) エキサイプレックス
→ ³BP が DPA の N 非共有電子対から電子を1個引きぬく
→ ラジカル対 → 生成物

エチレン2分子の [2+2] 環化付加:
2 CH₂=CH₂ → シクロブタン
熱では起こらない …(3)
なぜ熱では起こらないか(WH則):
エチレンの MO:Ψ₁(結合性,エネルギー −β)、Ψ₂(反結合性,エネルギー +β)
2分子が近づくと Ψ₁ 同士で摂動が起こるはずだが:
🔑 「充満MO同士の摂動は安定化をもたらさない」(15_ペリ環状反応 WH第五則)これは今章の核心。2p 軌道同士の面内重なりで作られるはずの σ 結合は熱反応では生成できない。光で初めて可能になる。
| 反応タイプ | 電子系 | 熱 | 光 |
|---|---|---|---|
| [2+2] 環化付加 | 4 電子(4n, n=1) | 禁制 | 許容 |
| [4+2] 環化付加 | 6 電子(4n+2, n=1) | 許容 | 禁制 |
| [2] 電子環式 | 2 電子 | dis許容 | con許容 |
| [4] 電子環式 | 4 電子 | con許容 | dis許容 |
| [4] sigmatropic | — | sup許容 | ant許容 |
(con = 閉環型, dis = 開環型, sup = 面上, ant = 面間)
🔑 「光は熱の鏡像」光励起で電子が HOMO → LUMO に移ると、元の HOMO は半占有(SOMO)になり、LUMO が新しい HOMO の役割を果たす。これが熱と光で許容・禁制が逆転する根本理由。15_ペリ環状反応(WH則)と本章を組み合わせて総合的に理解すること。
光照射で第一のエチレンの Ψ₁(HOMO)から電子1個が Ψ₂\* に励起される。
(励起エチレン) Ψ₁¹ Ψ₂¹ + (基底エチレン) Ψ₁² Ψ₂⁰
今度は **励起されたΨ₂\*(LUMO になっている) と基底エチレンの Ψ₂(LUMO) が摂動する。LUMO 同士の摂動では電子は1個しかない(安定化2E、不安定化0E)→ 差引き安定化** → 反応が進む。
図24-7:励起 Ψ₂* + Ψ₂(LUMO) → 安定摂動 → 2つの新しい σ 結合が一挙に生成
「一挙に4員環化」するので、これは協奏反応(concerted)。

フマル酸ジメチル([5])の光環化付加の例:
[5](E 型、R 基が反対側)がフェナントレンと反応
一段協奏(図24·7 機構)なら → 生成物 [6](R は互いに反対向き = 面間が保存)
実際には [7] という別の立体異性体も生成する。[7] はエキサイプレックスを経由した二段反応から:
フェナントレン + [5] → エキサイプレックス → [8] → [6] または [7]
💡 立体化学が反応機構を教える[6] が生成すれば「一段協奏」の証拠。[7] が生成すれば「エキサイプレックス経由の二段」の証拠。生成物の立体化学を分析することで、反応が協奏かどうかが判明する(MO法の検証手段)。
(CH₃)₂C=O + (CH₃)₂C=C(CH₃)₂ →(hν)→ オキセタン [9]
C=O の n→π* 励起からエキサイプレックスを経由する2段反応。電子が O から C に移動した後、ラジカルとして結合する。
不均化反応(22_遊離基の反応)の副産物 [11] も生成する。

ケクレが 1865 年にベンゼンの構造を提案する2年前、1867 年に Dewar は別の構造を提案していた。これが Dewar ベンゼン(bicyclo[2.2.0]hexa-2,5-diene 骨格)。
熱的には Dewar ベンゼン → ケクレベンゼンへの変換は起こるが逆は進まない。しかし光(UV)照射でベンゼン → Dewar ベンゼンが生成できる。
ベンゼン →(204 nm, hν)→ Dewar ベンゼン(不安定)
ベンゼン →(254 nm, hν)→ フルベン(fulvene)
ベンゼン(254 nm 吸収 = S₂ 励起)からの中間体を経てフルベン(6π系だが非芳香族)が生成。フルベンは元来、メチレンシクロペンタジエンである。

🔑 「芳香族は光で壊せる」ベンゼン環の巨大な共鳴安定化(約 150 kJ/mol)があっても、紫外光のエネルギー(204 nm = 590 kJ/mol)はこれを遙かに上回る。光化学が「熱化学の常識を超える」好例。
世界で年間 1 億トン超の合成高分子生産。プラスチック公害対策として「太陽光で分解できる高分子」の設計が要求されてきた。解決策:高分子に カルボニル基(C=O) を導入する → Norrish 型開裂が起こる。
R₁-CO-R₂ →(hν)→ R₁-CO· + R₂· …(A)
または → R₁· + CO + R₂·
C=O のα位の結合(C-CO 結合)が切れる。生じたラジカルはさらにβ開裂し小分子に分解する。
ノーベル賞:R.G.W. Norrish(1967年)が体系化。
反応する波長の違いによって、α開裂とγ-H 移動の比率が変わる(例:波長 313 nm では 9:10 = 40:1、265 nm では 5.5:1)。
光化学反応の効率を表す 量子収率(quantum yield, Φ):
Φ = 反応した分子の数 / 吸収した光子の数
Φ = 1 なら吸収した光子1個で1分子が反応(100% 効率)。Φ > 1 は連鎖反応が起きていることを示す(1個の光子で複数の分子が反応)。
Norrish I 型の例(ペンタン-2,4-ジオンなど):
💡 「量子収率は光反応の設計指標光触媒・光重合・光医療(PDT)のすべてで Φ を最大化することが目標。Norrish I/II のどちらが起こりやすいかも Φ の測定で定量できる。
R-CO-CH₂-CH₂-CH₂R' →(hν)→ 6員環遷移状態(H 移動) →(β開裂)→ アルケン + エノール
…(B)
C=O の γ位(4原子離れたH) が6員環遷移状態を経由して酸素に移動し、その後β開裂でアルケンとエノールが生成する。
💡 6員環遷移状態はなぜ有利か環状遷移状態を取れる場合(γ-H の場合)、H 移動の活性化エネルギーが低下する。β-H(5員環遷移状態)よりγ-H(6員環)が有利、というのは熱反応でも同様に見られる法則。


プラスチック公害対策として開発された光分解性ポリマーの設計原則:
実用例:エチレン-CO 共重合体に多数の C=O を持たせた「光分解性ポリエチレン」。
光合成(参考):クロロフィルが 680 nm・700 nm の赤色光を吸収。励起状態のクロロフィルから電子が移動し(ET、22_遊離基の反応・23_光励起と同じ原理)、NADPHや ATP の合成に使われる。まさにラジカル・ET・光励起の集大成。
視覚:ロドプシン中のレチナール(C=C 系の発色団)が光を吸収。11-cis-レチナール → all-trans-レチナールへの E/Z 異性化が起こり(本章の1節と同原理)、これが神経信号に変換される。
💡 「本章の内容は細胞の中でも起きている」光異性化(1節)、光エネルギー移動(23_光励起)、ラジカルET(22_遊離基の反応)は生命現象の根幹にある反応メカニズムと同一の原理。有機光化学は合成化学だけでなく生化学・医学とも直結する。
医療応用の例:がん治療における光線力学療法(PDT)。
ここには「T₁ → ¹O₂ 生成」という 22 章(磁場・一重項酸素)と「光増感反応」(23_光励起)が一体となって利用されている。
通常の UV ランプでは複数の波長が混在するが、レーザー(単色・高強度) を使うと:
現代の光化学研究はレーザー技術の進歩と不可分に発展している。
A. WH則は「フロンティアMOの位相一致」で判定する。[2+2] では熱的に HOMO-LUMO の位相が一致しない(熱禁制)。光で1電子が励起されると HOMO が「逆位相」のものに変わり、位相が合って [2+2] が可能になる。[4+2](Diels-Alder)は逆に、熱的な HOMO-LUMO が一致する(熱許容)。光で励起すると位相が合わなくなる(光禁制)。15_ペリ環状反応の表を参照:熱と光で許容・禁制は逆転する。
A. 切れる場所が違う。I 型は「C=O のα位の結合が切れる」。生成物は ACyl ラジカルと R ラジカル(直接開裂)。II 型は「C=O からγ位の H を引きぬいてから開裂する」。生成物はアルケンとエノール(6員環遷移状態を経由)。切れた生成物の種類と炭素数を数えれば区別できる。
A. 協奏的 [2+2] は「2本の σ 結合が一挙に生成」する。→ 立体化学が保存される。エキサイプレックス経由では一段目で片方の二重結合が一重結合になり、その間に E/Z 回転が起こりうる → 立体化学が混乱する(複数の立体異性体が生成)。実験的には「生成物の立体化学が1種類か複数か」で判定できる。
A. 15_ペリ環状反応(ペリ環状反応)で扱った WH則は「熱と光では対称性許容・禁制が入れ替わる」という法則。
光化学反応はWH則を「実際に確かめる舞台」として機能する。
A. 置換基がある場合は単離できることがある(特にかさ高い置換基で安定化)。非置換 Dewar ベンゼン(テトラメチル Dewar ベンゼンなど)も単離・保存されている。ただしベンゼンへの熱的戻り反応は起こりやすく、取り扱いには注意が必要。
光化学反応の全体像
励起状態(S₁・T₁) → 4種の反応に分岐:
│
├─ 1. E/Z 異性化(二重結合が一重結合化 → 回転)
│ エチレン/スチルベン、アゾ化合物
│
├─ 2. [2+2] 光環化付加(WH許容、熱禁制)
│ エチレン → シクロブタン
│ ─ 一段協奏 → 立体化学保存
│ ─ エキサイプレックス経由 → 立体化学混乱
│
├─ 3. Norrish 型開裂
│ I型:α開裂(C=O のα C-C が切れる)
│ II型:γ-H 移動 + β開裂(6員環遷移状態)
│
└─ 4. ベンゼン異性化(Dewar ベンゼン、フルベン)
熱と光の許容/禁制逆転(WH則):
[2+2]:熱禁制・光許容
[4+2]:熱許容・光禁制
この章のキーワード:E/Z 異性化 / [2+2]光環化付加 / Woodward-Hoffmann則 / 一段協奏 / エキサイプレックス / Paternò-Büchi反応(オキセタン) / Dewarベンゼン / フルベン / Norrish I型(α開裂) / Norrish II型(γ-H移動)
🎯 次のノートを読む前にNorrish I 型と II 型を区別する問題:CH₃-CO-CH₂-CH₂-CH₃(ペンタン-2-オン)を光照射したとき、どの結合が切れて何が生成するか、I 型と II 型それぞれで予測せよ。
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