総合INDEX > 有機電子論ノート > 第24章
この章の構成
  1. 📌 TL;DR — この章で持ち帰る5つだけ
  2. なぜこの章を読むのか
  3. 1. 二重結合の異性化
  4. 2. 光による C=O への付加 — ノリッシュ型の前置き
  5. 3. 二重結合の光による環状付加
  6. 4. 光によるベンゼンの異性化
  7. 5. 光による分子の分解 — Norrish 型開裂
  8. 5a. 光化学反応と工業・生命科学への展開
  9. ❓ つまずきポイント Q&A
  10. 🧭 章末まとめ — 1枚で復習
  11. 🔗 関連ノート・次への橋渡し
  12. 📚 ソース

第24章 光化学反応

原典:米山正信『有機電子論解説 — 有機化学の基礎』第24章(p.354〜366)INDEX | ← 前へ 23_光励起 | 次へ → 25_いくつかの反応


📌 TL;DR — この章で持ち帰る5つだけ

  1. 光照射で二重結合は一重結合に変わる(S₁・T₁ 状態)。エチレンの S₁ と T₁ は C-C 距離が伸び(135→144 pm)、分子が 90° ねじれる。これが E/Z 異性化の駆動力。
  2. [2+2] 光環化付加は熱では起こらないが、光では起こる。Woodward-Hoffmann 則の帰結:熱では Ψ₁ 同士(充満MO同士)の摂動は不安定化、光では励起された Ψ₁* が Ψ₂(LUMO) と安定摂動できる。
  3. Norrish I 型はα開裂(C=O のαの結合が切れる)、Norrish II 型はγ-H 移動を伴う開裂。光分解性高分子の設計はここから来る。
  4. ベンゼンは光照射で Dewar ベンゼンやフルベンに変化できる。熱的には絶対に起こらない異性化。
  5. エキサイプレックスを経由する二段反応では立体化学が緩和される。一段協奏で進む [2+2] が生成するはずの立体化学と、エキサイプレックス経由の生成物は区別できる。

覚える前にこれだけ:光化学反応は「熱反応の選択則を逆転させる手段」と覚えよ。熱では禁制の反応が光では許容に、許容の反応が禁制になる(WH則)。


なぜこの章を読むのか

23_光励起で「光が分子に吸収されて S₁ や T₁ になる」ことを学んだ。では、その励起状態から実際にどんな化学反応が起こるのか?

本章はその実例集だ。


1. 二重結合の異性化

1.1 エチレンの励起状態と C-C 距離

状態C-C 距離分子形状結合次数
S₀(基底)135 pm平面二重結合
S₁(励起一重項)144 pm90° ねじれ一重結合に近い
T₁(励起三重項)144 pm90° ねじれ一重結合に近い

参考:エタン H₃C-CH₃ の C-C 距離は 154 pm(σ一重結合)。S₁ と T₁ では C-C 距離が伸び「π結合がほぼ消えた」状態になる。一重結合ならば自由回転できる → E/Z 異性化が起こる。

🖼 第24章 原ページ 1/7第24章 原ページ 1/7

1.2 スチルベンの E/Z 転位(前章の補足)

前章(23_光励起)で光増感でのスチルベン異性化を述べた。本章では直接励起の場合:

💡 光異性化の実用例アゾ化合物(N=N)の光異性化も同じ機構。式(1)の反応では N=N が N-N に変わり 90° 回転後に Z 体が生成。光スイッチング材料(光制御の on/off デバイス)はこの原理を利用する。


2. 光による C=O への付加 — ノリッシュ型の前置き

2.1 ベンゾフェノン+ジフェニルメタノール系(水素引きぬき)

(C₆H₅)₂C=O + (C₆H₅)₂CH-OH → (C₆H₅)₂C(OH)-C(C₆H₅)₂OH
        [1]                       生成物

機構:

  1. ベンゾフェノンの n 電子が励起 → [1](n→π* 遷移で T₁ 状態)
  2. T₁ 状態の C=O が相手方のC-H の σ 電子を引きぬく(フロンティアMO摂動)
  3. 生じたラジカル対が再結合 → 生成物

フロンティアMOの観点:

2.2 エキサイプレックス経由の付加

ベンゾフェノン(BP)とジフェニルアミン(DPA)の反応:

BP →(hν)→ ³BP(T₁状態)
³BP + DPA → (BP⁺···DPA⁻) エキサイプレックス
→ ³BP が DPA の N 非共有電子対から電子を1個引きぬく
→ ラジカル対 → 生成物
🖼 第24章 原ページ 2/7第24章 原ページ 2/7

3. 二重結合の光による環状付加

3.1 熱では [2+2] が起こらない理由(WH則の再確認)

エチレン2分子の [2+2] 環化付加:

2 CH₂=CH₂ → シクロブタン
                熱では起こらない    …(3)

なぜ熱では起こらないか(WH則):

エチレンの MO:Ψ₁(結合性,エネルギー −β)、Ψ₂(反結合性,エネルギー +β)

2分子が近づくと Ψ₁ 同士で摂動が起こるはずだが:

🔑 「充満MO同士の摂動は安定化をもたらさない」(15_ペリ環状反応 WH第五則)これは今章の核心。2p 軌道同士の面内重なりで作られるはずの σ 結合は熱反応では生成できない。光で初めて可能になる。

3.1a WH則の整理(熱と光の比較)

反応タイプ電子系熱光
[2+2] 環化付加4 電子(4n, n=1)禁制許容
[4+2] 環化付加6 電子(4n+2, n=1)許容禁制
[2] 電子環式2 電子dis許容con許容
[4] 電子環式4 電子con許容dis許容
[4] sigmatropic—sup許容ant許容

(con = 閉環型, dis = 開環型, sup = 面上, ant = 面間)

🔑 「光は熱の鏡像」光励起で電子が HOMO → LUMO に移ると、元の HOMO は半占有(SOMO)になり、LUMO が新しい HOMO の役割を果たす。これが熱と光で許容・禁制が逆転する根本理由。15_ペリ環状反応(WH則)と本章を組み合わせて総合的に理解すること。

3.2 光では [2+2] が許容になる理由

光照射で第一のエチレンの Ψ₁(HOMO)から電子1個が Ψ₂\* に励起される。

(励起エチレン) Ψ₁¹ Ψ₂¹ + (基底エチレン) Ψ₁² Ψ₂⁰

今度は **励起されたΨ₂\*(LUMO になっている) と基底エチレンの Ψ₂(LUMO) が摂動する。LUMO 同士の摂動では電子は1個しかない(安定化2E、不安定化0E)→ 差引き安定化** → 反応が進む。

図24-7:励起 Ψ₂* + Ψ₂(LUMO) → 安定摂動 → 2つの新しい σ 結合が一挙に生成

「一挙に4員環化」するので、これは協奏反応(concerted)。

🖼 第24章 原ページ 3/7第24章 原ページ 3/7

3.3 立体特異性と [2+2] の一段反応・二段反応

フマル酸ジメチル([5])の光環化付加の例:

[5](E 型、R 基が反対側)がフェナントレンと反応

一段協奏(図24·7 機構)なら → 生成物 [6](R は互いに反対向き = 面間が保存)

実際には [7] という別の立体異性体も生成する。[7] はエキサイプレックスを経由した二段反応から:

  1. フマル酸の1つの二重結合が一重結合になり → E/Z 回転が可能
  2. エキサイプレックス内部(式5)で環化
フェナントレン + [5] → エキサイプレックス → [8] → [6] または [7]

💡 立体化学が反応機構を教える[6] が生成すれば「一段協奏」の証拠。[7] が生成すれば「エキサイプレックス経由の二段」の証拠。生成物の立体化学を分析することで、反応が協奏かどうかが判明する(MO法の検証手段)。

3.4 Paternò-Büchi 反応(オキセタン生成)

(CH₃)₂C=O + (CH₃)₂C=C(CH₃)₂ →(hν)→ オキセタン [9]

C=O の n→π* 励起からエキサイプレックスを経由する2段反応。電子が O から C に移動した後、ラジカルとして結合する。

不均化反応(22_遊離基の反応)の副産物 [11] も生成する。

🖼 第24章 原ページ 4/7第24章 原ページ 4/7

4. 光によるベンゼンの異性化

4.1 Dewar ベンゼンの生成

ケクレが 1865 年にベンゼンの構造を提案する2年前、1867 年に Dewar は別の構造を提案していた。これが Dewar ベンゼン(bicyclo[2.2.0]hexa-2,5-diene 骨格)。

熱的には Dewar ベンゼン → ケクレベンゼンへの変換は起こるが逆は進まない。しかし光(UV)照射でベンゼン → Dewar ベンゼンが生成できる。

ベンゼン →(204 nm, hν)→ Dewar ベンゼン(不安定)
ベンゼン →(254 nm, hν)→ フルベン(fulvene)

4.2 フルベン生成の推定機構

ベンゼン(254 nm 吸収 = S₂ 励起)からの中間体を経てフルベン(6π系だが非芳香族)が生成。フルベンは元来、メチレンシクロペンタジエンである。

🖼 第24章 原ページ 5/7第24章 原ページ 5/7

🔑 「芳香族は光で壊せる」ベンゼン環の巨大な共鳴安定化(約 150 kJ/mol)があっても、紫外光のエネルギー(204 nm = 590 kJ/mol)はこれを遙かに上回る。光化学が「熱化学の常識を超える」好例。


5. 光による分子の分解 — Norrish 型開裂

5.1 背景:光分解性高分子

世界で年間 1 億トン超の合成高分子生産。プラスチック公害対策として「太陽光で分解できる高分子」の設計が要求されてきた。解決策:高分子に カルボニル基(C=O) を導入する → Norrish 型開裂が起こる。

5.2 Norrish I 型(α開裂)

R₁-CO-R₂ →(hν)→ R₁-CO· + R₂·          …(A)
または       →     R₁· + CO + R₂·

C=O のα位の結合(C-CO 結合)が切れる。生じたラジカルはさらにβ開裂し小分子に分解する。

ノーベル賞:R.G.W. Norrish(1967年)が体系化。

反応する波長の違いによって、α開裂とγ-H 移動の比率が変わる(例:波長 313 nm では 9:10 = 40:1、265 nm では 5.5:1)。

5.2a 光分解の量子収率

光化学反応の効率を表す 量子収率(quantum yield, Φ):

Φ = 反応した分子の数 / 吸収した光子の数

Φ = 1 なら吸収した光子1個で1分子が反応(100% 効率)。Φ > 1 は連鎖反応が起きていることを示す(1個の光子で複数の分子が反応)。

Norrish I 型の例(ペンタン-2,4-ジオンなど):

💡 「量子収率は光反応の設計指標光触媒・光重合・光医療(PDT)のすべてで Φ を最大化することが目標。Norrish I/II のどちらが起こりやすいかも Φ の測定で定量できる。

5.3 Norrish II 型(γ-H 移動)

R-CO-CH₂-CH₂-CH₂R' →(hν)→ 6員環遷移状態(H 移動) →(β開裂)→ アルケン + エノール
                                                                …(B)

C=O の γ位(4原子離れたH) が6員環遷移状態を経由して酸素に移動し、その後β開裂でアルケンとエノールが生成する。

💡 6員環遷移状態はなぜ有利か環状遷移状態を取れる場合(γ-H の場合)、H 移動の活性化エネルギーが低下する。β-H(5員環遷移状態)よりγ-H(6員環)が有利、というのは熱反応でも同様に見られる法則。

🖼 第24章 原ページ 6/7第24章 原ページ 6/7
🖼 第24章 原ページ 7/7第24章 原ページ 7/7

5a. 光化学反応と工業・生命科学への展開

5a.1 光分解性高分子の設計

プラスチック公害対策として開発された光分解性ポリマーの設計原則:

  1. C=O 基をポリマー主鎖または側鎖に導入する
  2. 太陽光(可視〜近紫外、300〜400 nm)で C=O が励起(n→π\* 遷移)
  3. Norrish I 型(α開裂)または II 型(γ-H 移動)で主鎖が切断
  4. 小分子に分解 → 生分解が進む

実用例:エチレン-CO 共重合体に多数の C=O を持たせた「光分解性ポリエチレン」。

5a.2 天然の光化学反応 — 光合成と視覚

光合成(参考):クロロフィルが 680 nm・700 nm の赤色光を吸収。励起状態のクロロフィルから電子が移動し(ET、22_遊離基の反応・23_光励起と同じ原理)、NADPHや ATP の合成に使われる。まさにラジカル・ET・光励起の集大成。

視覚:ロドプシン中のレチナール(C=C 系の発色団)が光を吸収。11-cis-レチナール → all-trans-レチナールへの E/Z 異性化が起こり(本章の1節と同原理)、これが神経信号に変換される。

💡 「本章の内容は細胞の中でも起きている」光異性化(1節)、光エネルギー移動(23_光励起)、ラジカルET(22_遊離基の反応)は生命現象の根幹にある反応メカニズムと同一の原理。有機光化学は合成化学だけでなく生化学・医学とも直結する。

5a.2a フォトダイナミック療法(PDT)

医療応用の例:がん治療における光線力学療法(PDT)。

  1. 光増感剤(ポルフィリン誘導体など)を腫瘍に集積させる
  2. 特定波長の光を照射 → 増感剤が T₁ 状態になる
  3. T₁ が酸素に三重項エネルギーを移動 → 一重項酸素(¹O₂)が発生(22_遊離基の反応参照)
  4. ¹O₂ が腫瘍細胞を酸化 → 細胞死

ここには「T₁ → ¹O₂ 生成」という 22 章(磁場・一重項酸素)と「光増感反応」(23_光励起)が一体となって利用されている。

5a.3 レーザーと光化学

通常の UV ランプでは複数の波長が混在するが、レーザー(単色・高強度) を使うと:

現代の光化学研究はレーザー技術の進歩と不可分に発展している。


❓ つまずきポイント Q&A

Q1. [2+2] が熱で禁制・光で許容なのに、[4+2] はその逆。なぜ逆になる?

A. WH則は「フロンティアMOの位相一致」で判定する。[2+2] では熱的に HOMO-LUMO の位相が一致しない(熱禁制)。光で1電子が励起されると HOMO が「逆位相」のものに変わり、位相が合って [2+2] が可能になる。[4+2](Diels-Alder)は逆に、熱的な HOMO-LUMO が一致する(熱許容)。光で励起すると位相が合わなくなる(光禁制)。15_ペリ環状反応の表を参照:熱と光で許容・禁制は逆転する。

Q2. Norrish I 型と II 型はどうやって区別するのか?

A. 切れる場所が違う。I 型は「C=O のα位の結合が切れる」。生成物は ACyl ラジカルと R ラジカル(直接開裂)。II 型は「C=O からγ位の H を引きぬいてから開裂する」。生成物はアルケンとエノール(6員環遷移状態を経由)。切れた生成物の種類と炭素数を数えれば区別できる。

Q3. エキサイプレックス経由の [2+2] と協奏的 [2+2] の違いは?

A. 協奏的 [2+2] は「2本の σ 結合が一挙に生成」する。→ 立体化学が保存される。エキサイプレックス経由では一段目で片方の二重結合が一重結合になり、その間に E/Z 回転が起こりうる → 立体化学が混乱する(複数の立体異性体が生成)。実験的には「生成物の立体化学が1種類か複数か」で判定できる。

Q4. 光化学と WH則の関係をまとめると?

A. 15_ペリ環状反応(ペリ環状反応)で扱った WH則は「熱と光では対称性許容・禁制が入れ替わる」という法則。

光化学反応はWH則を「実際に確かめる舞台」として機能する。

Q5. Dewar ベンゼンは実際に単離できるのか?

A. 置換基がある場合は単離できることがある(特にかさ高い置換基で安定化)。非置換 Dewar ベンゼン(テトラメチル Dewar ベンゼンなど)も単離・保存されている。ただしベンゼンへの熱的戻り反応は起こりやすく、取り扱いには注意が必要。


🧭 章末まとめ — 1枚で復習

光化学反応の全体像

励起状態(S₁・T₁) → 4種の反応に分岐:
 │
 ├─ 1. E/Z 異性化(二重結合が一重結合化 → 回転)
 │       エチレン/スチルベン、アゾ化合物
 │
 ├─ 2. [2+2] 光環化付加(WH許容、熱禁制)
 │       エチレン → シクロブタン
 │       ─ 一段協奏 → 立体化学保存
 │       ─ エキサイプレックス経由 → 立体化学混乱
 │
 ├─ 3. Norrish 型開裂
 │       I型:α開裂(C=O のα C-C が切れる)
 │       II型:γ-H 移動 + β開裂(6員環遷移状態)
 │
 └─ 4. ベンゼン異性化(Dewar ベンゼン、フルベン)

熱と光の許容/禁制逆転(WH則):
  [2+2]:熱禁制・光許容
  [4+2]:熱許容・光禁制

この章のキーワード:E/Z 異性化 / [2+2]光環化付加 / Woodward-Hoffmann則 / 一段協奏 / エキサイプレックス / Paternò-Büchi反応(オキセタン) / Dewarベンゼン / フルベン / Norrish I型(α開裂) / Norrish II型(γ-H移動)


🔗 関連ノート・次への橋渡し

🎯 次のノートを読む前にNorrish I 型と II 型を区別する問題:CH₃-CO-CH₂-CH₂-CH₃(ペンタン-2-オン)を光照射したとき、どの結合が切れて何が生成するか、I 型と II 型それぞれで予測せよ。


📚 ソース

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