原典:米山正信『有機電子論解説 — 有機化学の基礎』第22章(p.322〜339)INDEX | ← 前へ 21_遊離基 | 次へ → 23_光励起
覚える前にこれだけ:ラジカルは「電子1個を持つ活性種」。その電子をどう移動させ、どう安定化させるかが、この章のすべてのテーマ。
前章(21_遊離基)でラジカルの生成と安定性を学んだ。この22章は「ラジカルが実際に何をするか」の総覧だ。工業的に重要なラジカル重合(ポリスチレン、合成ゴム加硫)から、磁場がラジカル反応の収率を変えるという驚きの現象まで、幅広くカバーする。
さらにこの章は 23_光励起・24_光化学反応(光化学)への橋渡し でもある。一重項と三重項の区別(スピン状態)はここで初めて本格的に登場し、光励起と光化学反応でも中心概念になる。
09_脱離反応では脂肪族イオン反応のβ脱離を扱った。全く同じ機構がラジカルでも起こる。
R-Ċ-C → R· + ·C-C → C=C
切れやすい結合の条件は2つ:
この2条件は実は同一のことを言っている。超共役(21_遊離基)でラジカルが安定化されるほど、その位置のβ結合が切れやすい。安定性の順序:CH₃· < C₂H₅· < (CH₃)₂CH·

💡 β脱離とカルボカチオン崩壊の類推カルボカチオンのβ脱離(09_脱離反応)ではイオン対が駆動力だった。ラジカルのβ脱離では不対電子の安定化が駆動力になる。「どちらも安定な中間体を生じる方向に開裂する」という原則は共通。
最も単純なラジカル安定化:2個のラジカルが再結合して共有結合をつくる。
R· + ·Q → R-Q
コルベ電解(Kolbe electrolysis, 1849年)はその工業的例。有機カルボン酸ナトリウムを電気分解すると炭化水素が生成する。
機構:
アノード(酸化):R-COO⁻ → R-COO· + e⁻ … (β)
脱炭酸:R-COO· → R· + CO₂ … (γ)
再結合:R· + ·R → R-R
🔑 「酸化 = 電子を失う」の実感β式で「電子を失う」ことが酸化の意味。電気分解では失われた電子が電流になる。この「電子を1個やりとりするラジカル酸化還元」は、フェントン反応(24_光化学反応)にも再登場する。
2個のラジカルが反応するとき、再結合(R-Q)だけでなく 不均化 も並行する。
·CH₃ + ·CH₂CH₃ → CH₄ + CH₂=CH₂
メチルラジカルがエチルラジカルからH·を引きぬいた結果、メタンとエチレンという 2個の非ラジカル性中性分子 が生成する。これが不均化反応。コルベ電解の副産物(アルケン型のR')もこれで説明できる。
前章で紹介したアゾジイソブチロニトリル(AIBN)の熱分解で生じたシアノジメチルメチルラジカルは溶媒ケージ内で多様な反応をする(図22·1参照)。

Fe³⁺, Cu²⁺, Co³⁺ などの遷移金属イオンはラジカルとの間で電子を1個やりとりできる。
ラジカルの酸化:~CH·-CH₂~ + Fe³⁺ → ~CH=CH₂ + Fe²⁺ + H⁺ … (2)
ラジカル重合中にFeCl₃やCuCl₂を加えると連鎖が停止するのはこの反応による。
逆に中性分子からFe³⁺が電子を引きぬいて ラジカルカチオン を生じることもある。
Q + Fe³⁺ → Q·⁺ + Fe²⁺ … (3)
1980年代から 電子転達(ET, electron transfer) として広く研究が進んでいる。金属だけでなく光化学反応(23·24_光化学反応)でもETは重要な概念として再登場する。

CH₄ + Cl₂ の光反応はラジカル連鎖反応の教科書的例。
開始(光):Cl₂ → 2 Cl·
生長①:Cl· + CH₄ → ·CH₃ + HCl
生長②:·CH₃ + Cl₂ → CH₃Cl + Cl·
停止:Cl· + ·CH₃ → CH₃Cl など
Cl·が生長①と②を繰り返す連鎖反応(chain reaction)。最終的に CH₃Cl → CH₂Cl₂ → CHCl₃ → CCl₄ まで多段塩素化が進む。
空気中の酸素 ·O-O· は高温でH·を引きぬける。ナイロン工業の前半工程:シクロヘキサン → シクロヘキサノン(150°C、10 atm、触媒:ナフテン酸マンガン)
機構の鍵:ホモリシス(homolysis)= 結合が均等に開裂して2個のラジカルを生成。R-O-O-H → R-O· + ·OH がホモリシスで、生じた R-O· と ·OH が繰り返しH·を引きぬいてシクロヘキサノンを与える。

合成ゴム(ポリブタジエン)の加硫にはラジカル試剤(ジクミルペルオキシド、DICUP)が使われる。生成したクミルオキシルラジカルがポリマーのH·を引きぬき、高分子間の架橋をつくる。
ラジカル重合の停止剤(p-イソプロピルベンゼン誘導体)のXを変化させ、停止反応速度定数kを測定すると、山本-大津式(γ = 1.0, δ = 0)でよく直線を与える。ラジカルのH·引きぬき反応もイオン反応と同じハメット則に従う。
測定系の概要:
| 置換基 X | σ 値(おおむね) | 相対的 k の傾向 |
|---|---|---|
| CH₃O(p-) | 電子供与 | k 増大 |
| H | 0 | 基準 |
| Cl(p-) | 電子吸引 | k 減少 |
| CN(m-) | 電子吸引 | k 大きく減少 |
山本-大津式:
log k = ρσ + γE_R + δE_s
ここで γ = 1.0, δ = 0 とすると E_R(共鳴パラメーター)のみで直線関係が成立。イオン的なハメット則(σのみ)では一致しないが、共鳴効果(E_R)を加えることで 直線性が回復する。これはラジカル反応においても電子的効果(とくに共鳴)が速度を支配することを意味する。
🔑 「ラジカルも電子効果を受ける」ことの重要性イオン反応では電荷の安定化が律速を支配した。ラジカル反応では不対電子の非局在化(共鳴・超共役) が速度を左右する。ハメット則が両方に効くのは、「電子効果は普遍的」という証拠。
連鎖反応が進む熱力学的条件:各生長ステップが発熱(または活性化エネルギーが小さい)であること。
メタン塩素化の場合(概算):
| ステップ | 結合エネルギー変化 |
|---|---|
| Cl· + CH₄ → ·CH₃ + HCl | ΔH ≈ −4 kJ/mol(わずかに発熱) |
| ·CH₃ + Cl₂ → CH₃Cl + Cl· | ΔH ≈ −105 kJ/mol(大きく発熱) |
両ステップが発熱なので連鎖が自発的に進む。逆に臭素化(Br·)は最初のステップが吸熱気味 → 選択性が高くなる(活性化エネルギーが高いほど遷移状態が基質の構造に敏感)。
💡 「発熱が小さいほど選択的」(Hammondの仮説)ラジカル臭素化はラジカル塩素化より遅く(活性化エネルギーが高い)、その分だけ遷移状態が生成物側の構造に近い(後期遷移状態)。反応性の高い塩素化より、反応性の低い臭素化の方が選択性が高い理由。
CCl₃· のプロピレンへの付加例:
CH₃-CH=CH₂ + CHCl₃ → CH₃-CH(·)-CH₂CCl₃
·CCl₃ は 末端炭素(CH₂)に付加する → 中央のCHにラジカルが生じる。これは08_二重結合への付加反応(カチオン付加、H⁺ が先に付加)と 逆の位置選択性 だ。
理由:中央のCHにラジカルが生じると、そのsp²軌道は左右の炭素と 超共役 しやすく安定化される。
HBrのラジカル付加も同様:先にBr·が末端に付加 → 反マルコウニコフ生成物。
💡 「先に付加する試剤が位置を決める」カチオン機構:H⁺ が先に付加 → 二次カルボカチオン(マルコウニコフ)ラジカル機構:Br· が先に付加 → 二次ラジカル(反マルコウニコフ)どちらも安定中間体をつくる方向に付加しているという原則は同じ。
カチオン付加では三中心二電子結合のπ錯体を経由したが、ラジカル付加ではπ錯体は生じない。はじめから目的の炭素に向かって 10〜20° の外側から 付加する。分子軌道法で正しいとされる。

スチレン + ベンゾイルペルオキシドの重合が典型例。
開始(initiation):
C₆H₅CO-O-O-COC₆H₅ → 2 C₆H₅COO·
C₆H₅COO· + CH₂=CH(C₆H₅) → C₆H₅COO-CH₂-ĊH(C₆H₅)
生長(propagation):
…-ĊH(C₆H₅) + CH₂=CH(C₆H₅) → …-CH(C₆H₅)-CH₂-ĊH(C₆H₅)
(0°C で約10,000回繰り返す)
停止(termination):
🔑 3段階は有機化学全体のパターン開始・生長・停止という3段階は、連鎖反応の普遍的な骨格。15_ペリ環状反応のペリ環状反応の「一挙協奏」とは対照的に、ラジカル連鎖は「段階的に大きくなる」。

ベンゼンのラジカル塩素化について、かつては:
Cl· + ArH → (Cl付加) → Cl-Ar· + H·
のようなH引きぬき機構が考えられた。
しかし現在は 17_芳香族求電子置換反応の芳香族求電子置換(ArSE)と同様にπ錯体(σ錯体)を経由する 機構が支持されている。
·OH によるσ錯体のUVスペクトル(320 nm の吸収、反応時間 5×10⁻⁵ s の技法)で実証。
イオン的なArSE反応では o,p-置換が原則だが、ラジカル置換では m-位への置換も相当量起こる(o/m/p の比は図22·4 参照)。電子的な活性化・不活性化効果が薄まることを反映している。
トリニトロベンゼン + ·CH₃ → σ錯体経由 → メチルトリニトロベンゼントリニトロベンゼン + ·Ad(アダマンチルラジカル) → イプソ錯体経由 → NO₂ が Ad に置換
イプソ錯体については19_芳香族求核置換反応で既出。ラジカル反応でもイプソ経由が起こる証拠。

共有結合の2個の電子は逆スピン(↑↓)で1つのMOに入っている。結合が開裂してラジカルが生じる時、生じた2個のラジカルのスピンの組合わせが問題になる。
| スピン配置 | 名称 | 記号 |
|---|---|---|
| ↑と↓(逆スピン対) | 一重項(singlet) | S |
| ↑と↑ または ↓と↓(同スピン対) | 三重項(triplet) | T |
重要な帰結:
R↑ + ↓Q(S状態)→ R-Q(再結合できる)
R↑ + ↑Q(T状態)→ 結合できない(パウリの原理)
項間交差(intersystem crossing) = S状態とT状態の相互転換。磁場の強さ H(ガウス G)によって速度定数が決まる。
k_ST = 3 × 10³ × H s⁻¹
地球磁場(0.5 G)での k_ST ≈ 1.5 × 10³ s⁻¹強い磁場を使えば S → T 転換を促進 → ケージ内でT状態のラジカルが増加→ 再結合できないまま ケージ外に逃げ出す量が増加 → 外の基質と反応する機会増大。

例1(乳化重合):スチレンのジベンゾイルペルオキシド乳化重合(水中、ミセル中)
磁場で S→T を促進 → ラジカルがミセル(ケージ代わり)外に出やすくなる → 重合効率向上。
例2(一重項酸素と三重項酸素):
空気中の通常の酸素は 三重項酸素 ³O₂(不対電子 2 個)。一重項酸素 ¹O₂ は特別な酸化反応(烯烃とのエン反応など)を引き起こす活性種。
磁場を強くする → S→T 転換促進 → ¹O₂ の収量が減少。
0.5 G (地球磁場) ¹O₂ 収量 ≈ 2%
9500 G(強磁場) ¹O₂ 収量 0.3% に減少
💡 一重項/三重項の概念はこの先でも何度も出る23_光励起(光励起)では1分子内の電子対のS/T状態として再登場。22章ではラジカル対(2分子)のS/T、23_光励起では1分子内の励起状態のS/T。混同しないよう注意。ただし、磁場効果の原理(スピン相互転換)は同じ。

1980年代から注目。有機化合物でも 強磁性(ferromagnetism) をもてる。
条件:分子中の 不対電子がすべて同方向にスピンを揃える。ただしキュリー温度 T_c 以下 でのみ成立(Fe の T_c = 767°C は大変高い)。
多価ラジカル性化合物(ジカルベン型など)が研究されている。
🔑 有機磁性体はなぜ珍しいか通常の有機分子は電子対(↑↓)で満たされ、磁気モーメントが打ち消し合う。多価ラジカルで不対電子が分子全体に広がり、同方向に揃う特殊な構造が必要。現状では T_c は低く実用性は限られるが、分子磁性材料という新分野を切り拓いた。
A. 開始はラジカルを発生させる段階(光や熱でペルオキシドを開裂させるなど)。生長は生じたラジカルが基質と反応し、また新しいラジカルを再生する繰り返し段階。1個のラジカルが開始されれば、理論上は無限に生長できる(停止するまで)。
A. カチオン付加では「H⁺が先に付加」して安定カルボカチオン(二次)を経由する。ラジカル付加では「Br·(またはCCl₃·)が先に付加」して、残るラジカルが安定(二次)になる位置に付加する。どちらも「安定中間体を経由する方向」という原則は同じ。H が先か Br が先かで向きが逆転する。
A. 2個の電子のスピンが「逆向き(↑↓)なら一重項 S」、「同向き(↑↑)なら三重項 T」。一重項同士なら再結合して共有結合をつくれる(パウリの原理を満たす)。三重項同士は1つの軌道に入れないので再結合できない。
A. アノード(陽極)でカルボン酸アニオン R-COO⁻ が電子を失う(=酸化される)。失われた電子が電気回路の電流になる。ラジカル R-COO· が中間体として生じ、CO₂ を脱離して R· となり再結合する。
A. 溶液中で2個の分子(今回はラジカル対)が溶媒分子に取り囲まれ、しばらく「同じ場所に閉じ込められた状態」のこと。ケージ内では再結合やスピン状態変換が起こりやすい。ケージから外に出ると別の分子と反応できる。
A. 再結合は「2個のラジカルがそのまま結合して R-R をつくる」。不均化は「H·(またはH原子)が一方から他方へ移動し、二重結合(アルケン)と飽和分子の2つの非ラジカル分子をつくる」。ラジカル重合の停止段階では両者が競合して起こる。
ラジカル反応の分類(7種)
┌─────────────────────────────────────┐
│ 1. ラジカルのβ脱離(β開裂) │
│ 2. ラジカル電子の移動(ET) │
│ 3. H·の引きぬき(連鎖反応の核心) │
│ ├─ 開始(initiation) │
│ ├─ 生長(propagation) │
│ └─ 停止(termination) │
│ 4. 二重結合への付加(反マルコウニコフ) │
│ 5. 芳香族置換(σ錯体経由) │
│ 6. 磁場効果(S⇄T 転換) │
│ 7. 有機磁性体(多価ラジカル) │
└─────────────────────────────────────┘
スピン状態の鍵
一重項 S:↑↓(再結合できる)
三重項 T:↑↑(再結合できない)
磁場 → S⇄T 転換を促進
この章のキーワード:連鎖反応 / 開始・生長・停止 / コルベ電解 / 不均化 / 反マルコウニコフ / ラジカル重合 / 一重項(S) / 三重項(T) / 項間交差 / 溶媒ケージ / 有機強磁性体 / キュリー温度
🎯 次のノートを読む前にメタンの塩素化を「開始・生長・停止」の3段階で書き出せるか確認せよ。また、スチルベンのラジカル重合停止時に「再結合と不均化のどちらが起こりやすいか」温度・粘度と関係させて考えてみよ。
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