原典:米山正信『有機電子論解説 — 有機化学の基礎』第3章(p.29〜43)INDEX | ← 前へ 02_共有結合 | 次へ → 04_I効果とE効果と共鳴
覚える前にこれだけ:π 電子は「動きやすい」。これが有機化学の反応性の多くを決める出発点だ。
02_共有結合では σ 結合(一重結合) を扱い、sp³ 混成で4本の等価な手ができることを学んだ。今度はエチレン(C=C)・アセチレン(C≡C)という 多重結合 の分子に進む。
多重結合のポイントは2つ。
この「分極」こそが04_I効果とE効果と共鳴の I 効果・E 効果、05_酸と塩基の酸塩基、そして06_脂肪族の置換反応以降のすべての反応理論の起点になる。分極を数値化する道具を持たずに先へは進めない。
エチレン CH₂=CH₂ を考える。各 C は3本の手を出せば足りる(H を2個 + 隣の C を1個)。3本の等価な手 = sp² 混成軌道(s 1個 + p 2個を混ぜて3等分)。
使う軌道:2s, 2pₓ, 2p_y → 3個の sp² 軌道(平面上に 120° 間隔)
残る軌道:2p_z → π 結合に使う

3本の sp² 軌道を最大限に分散すると、平面上に 120° 間隔 で並ぶ(図3-2a)。エチレンは6原子(C₂H₄)すべてが同一平面に存在する — これが実験事実と一致する。
💡 なぜ平面なのかが重要π 結合が形成されるには2つの p_z 軌道が平行でなければならない。平行を保つには分子全体が平面でなければならない。これが「二重結合まわりの回転が制限される」(シス/トランス異性体が存在する)理由だ。
各 C に残った 2p_z 軌道は、sp² 軌道の平面に対して垂直に突き出ている。両 C の p_z 軌道が平行に並ぶと、スピン逆向きの電子どうしが重なり合う。

π 結合の形は「分子平面の上下に広がった枕状の雲」。C=C 二重結合の実態は σ 電子対 1 組 + π 電子対 1 組(合計 4 個の電子)。
🔑 π 電子は反応しやすいσ 結合(軸方向)は核との重なりが大きく強固。π 結合(横方向)は重なりが小さく、電子が露出している → 求電子剤の標的になる(08_二重結合への付加反応・付加反応)。

アセチレン HC≡CH で各 C は2本の手が必要(H 1個 + 隣の C 1個)。2本の等価な手 = sp 混成軌道(s 1個 + p 1個を混ぜて2等分)。
使う軌道:2s, 2pₓ → 2個の sp 軌道(一直線上に 180° 対向)
残る軌道:2p_y, 2p_z → 2本の π 結合に使う
sp 軌道どうしが一直線に向かい合うことで H–C–C–H は直線形になる。

C≡C 三重結合の実態は σ 1組 + π 2組(合計 6 個の電子)。
| 結合 | 混成 | 結合距離 | 結合エネルギー目安 |
|---|---|---|---|
| C–C(エタン) | sp³–sp³ | 154 pm | 〜340 kJ/mol |
| C=C(エチレン) | sp²–sp² | 132 pm | 〜610 kJ/mol |
| C≡C(アセチレン) | sp–sp | 120 pm | 〜840 kJ/mol |
💡 距離と強さの理由sp に s の比率が高い → 軌道が核に近く小さい → 重なりが大きく → 結合が強くて短い。また、三重結合のエネルギーは単結合の3倍ではなく約2.5倍。π 結合はσ結合より1本あたりのエネルギーが小さい。
教科書が詳細にまとめている規則を整理する:
🔑 直交 = 重なれない という概念は、後でアセチレンの2本の π が互いに干渉しない理由にもなるし、15_ペリ環状反応(ペリ環状反応)でウッドワード–ホフマン則を理解するときの軸になる。
HCl という気体分子を考える。H の有効核電荷は +1e、Cl の有効核電荷は +7e。結合電子対は、より強い核電荷の方に引き寄せられる。
(H : Cl)ではなく(H :Cl)
結果として:
この偏りを分極(polarization)、偏った分子を極性分子(polar molecule)という。
分極の大きさは双極子モーメント(dipole moment)μで定量化する。
μ = q × l
q:双極子の電荷量(esu 単位で)
l:正負の電荷中心間の距離
単位はデバイ(D)= 1 × 10⁻¹⁸ esu·cm(ペーター・デバイにちなむ)。
HCl の場合:
μ = 0.852 × 10⁻¹⁰ esu × 1.27 × 10⁻⁸ cm = 1.082 D
δ = 0.177(単位電荷の 17.7% が偏在)

| 結合 | δ(偏在量) |
|---|---|
| H–N | 0.04 |
| H–C | 0.25 |
| H–O | 0.18 |
| H–Cl | 0.31 |
| C–N | 0.13 |
| C–O | 0.42 |
| C=O | 0.21 |
| C–Cl | 0.06 |
💡 C=O の分極率が高いC=O は δ 0.21 で、σ 結合だけでなく π 結合電子も O 側に引き寄せられる。これが04_I効果とE効果と共鳴(E 効果)と10_カルボニル基の反応(カルボニル反応)の中心テーマになる。
電気陰性度(electronegativity):原子が共有電子対を引きつける相対的な強さ。
ポーリング(L. Pauling、1901〜1994、ノーベル化学賞+平和賞)が1932年に数値化した:
| 元素 | 電気陰性度 |
|---|---|
| H | 2.1 |
| C | 2.5 |
| N | 3.0 |
| O | 3.5 |
| F | 4.0 |
| Cl | 3.0 |
| Br | 2.8 |
| I | 2.5 |
| Li | 1.0 |
| Na | 0.9 |
右上ほど大きく(F が最大)、左下ほど小さい。
🔑 なぜ周期表の右上が大きいか1)有効核電荷が大きい(族番号 = 有効核電荷)。2)原子サイズが小さい → 表面の電荷密度が高い → 電子を強く引きつける。下の周期(同族)では原子が大きく表面電荷密度が下がるため、電気陰性度が小さい。
電気陰性度の差 |χ_A − χ_B| が大きいほど、その結合のイオン性が高い。
| χ_A − χ_B | イオン性(%) | ||
|---|---|---|---|
| 0.4 | 4 | ||
| 1.0 | 22 | ||
| 1.7 | 50 | ||
| 2.0 | 63 | ||
| 3.0 | 89 |
H–Cl は |2.1 − 3.0| = 0.9 → 約18% のイオン性(残り82% は共有結合性)。

CCl₄ は各 C–Cl 結合が δ⁺C–Cl δ⁻ と分極しているが、4本が対称に並ぶため μ = 0 になる。CHCl₃ は対称性がないため μ = 1.86 D と大きな極性を持つ。
外部電場 F に置かれたとき、新たに生じる双極子モーメント m は:
m = α × F
α が大きいほど誘発双極子が生じやすい(分極しやすい)。α の単位は cm³(または cm³/mol)。
代表的な分極率:
| 結合 | α(cm³/mol) |
|---|---|
| C–H | 1.69 |
| O–H | 1.85 |
| C–C | 1.25 |
| C=C | 2.79 |
| C≡C | 4.79 |
| C–Cl | 6.53 |
| C–I | 14.55 |
🔑 C–I の分極率は C–Cl の約2倍。電気陰性度だけ見ると C–I は分極しにくそうだが(χ の差 = 0)、実際には電場が加わると 大きく分極する。これが C–I が反応しやすい(動的 I 効果が大きい)理由。04_I効果とE効果と共鳴・06_脂肪族の置換反応で具体的に扱う。

分極率 α は屈折率 n の関数でもある(ローレンツ–ローレンツ式):
α = (n² − 1) / (n² + 2) × M / (3π × Nₐ)
水(n = 1.33, M = 18.015)では α ≈ 1.46 × 10⁻²⁴ cm³ と計算される。

A. 重なりの方向が違う。σ は「結合軸の正面から向き合う」、π は「結合軸の横から重なる」。結果として σ は核との重なりが大きく強固、π は露出していて反応しやすい。
A. π 結合を維持するには 2 つの p_z 軌道が平行でなければならない。回転させると p_z どうしが位相が合わなくなり π 結合が切れる。だからシス/トランス異性体が「両者ともに安定に存在」できる。
A. 電気陰性度は「本来の引きつけ力(静的)」。分極率は「電場に応じて動ける電子の量(動的)」。電気陰性度が大きい F でも、原子が小さく電子が固まっているため分極率は小さい。大きな原子(I, Br)は電子雲が広がっており、外部電場に応じて大きく変形できる = 分極率大。
A. 例えば CCl₄:4本の C–Cl 結合はそれぞれ分極しているが、正四面体の対称性によって 4 つのベクトルが互いに打ち消し合い、分子全体の双極子モーメントはゼロになる。「結合の極性」と「分子の極性」は別物。
A. 消えない。p_z 軌道はそのまま残り、π 結合に使われる。sp² 混成した C は「3本の sp² 手 + 1本の p_z」の合計 4 軌道を持つ。C は常に4価であることが保たれている。
A. 単結合 σ のエネルギー ≈ 340 kJ/mol に対し、π 結合 1 本 ≈ 270 kJ/mol と小さいため。三重結合は σ + π₁ + π₂ = 340 + 270 + 230 ≈ 840 kJ/mol で、3倍の1020 kJ/mol には届かない。
混成軌道と分子の形
sp³ → 正四面体(109.5°) 一重結合のC
sp² → 平面三角形(120°) 二重結合のC
sp → 直線形(180°) 三重結合のC
多重結合の内訳
C=C : σ(sp²) + π(p_z) [電子4個] エチレン平面形
C≡C : σ(sp) + π(p_y) + π(p_z) [電子6個] アセチレン直線形
分子内の分極
電気陰性度(ポーリング): F > O > N > Cl > C > H
→ 大きい側がδ-、小さい側がδ+
双極子モーメント μ = q × l [単位: デバイ D]
→ 分子の極性/無極性を定量化
分極率 α = m / F
→ 動的分極の大きさ(I が最大、F が最小)
→ 反応速度に影響([[04_I効果とE効果と共鳴]]・[[06_脂肪族の置換反応]])
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🎯 次のノートを読む前に次の2問を自力で答えられるかチェック:
- エチレンが平面形になる理由を「π 結合と p_z 軌道」の言葉を使って説明せよ。
- C–I 結合はなぜ C–Cl より反応しやすいか(電気陰性度と分極率の両面から)。
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