総合INDEX > 有機電子論ノート > 第14章
この章の構成
  1. 📌 TL;DR — この章で持ち帰る5つだけ
  2. なぜこの章を読むのか
  3. 1. LCAO法 — MOはAOの「混ぜ合わせ」
  4. 2. シュレーディンガー方程式とエネルギーの求め方
  5. 3. エチレンのMO — もっとも単純なπ電子系
  6. 4. ブタジエンのMO — 4π電子系
  7. 5. HOMO・LUMO — フロンティア軌道
  8. 6. 5π系の例 — カチオン・ラジカル・アニオン
  9. 7. 結合次数とπ電子エネルギー
  10. ❓ つまずきポイント Q&A
  11. 🧭 章末まとめ — 1枚で復習
  12. 🔗 関連ノート・次への橋渡し
  13. 📚 ソース

第14章 分子軌道法 — HMO(ヒュッケル分子軌道法)

原典:米山正信『有機電子論解説 — 有機化学の基礎』第14章(p.197〜212)INDEX | ← 前へ 13_脂肪族の転位反応 | 次へ → 15_ペリ環状反応


📌 TL;DR — この章で持ち帰る5つだけ

  1. MO = AOの線形結合(LCAO) で作る。2個のAOから2個のMOが生まれる。
  2. クーロン積分α:電子が孤立した2p軌道にいるときのエネルギー(≈ −7 eV)
  3. 共鳴積分β:隣り合ったAO間の相互作用エネルギー(≈ −3 eV、負値 = 安定化)
  4. 永年方程式を解くとMOのエネルギー固有値と係数が求まる
  5. HOMO・LUMO(フロンティア軌道):化学反応の「攻められやすい場所」と「攻める側の軌道」を決める

覚える前にこれだけ:HMO法は「π電子だけを手計算で扱える最小モデル」。数式は怖くない。αとβという2つの記号を使いこなせば、エチレンからブタジエン、ベンゼンまで同じ枠組みで語れる。


なぜこの章を読むのか

01_水素原子と炭素原子で「電子は軌道に住む」と学んだ。02_共有結合〜03_多重結合と分極では「原子どうしが軌道を重ねると分子軌道(MO)ができる」と学んだ。しかしそこでは「結合性MO・反結合性MOの2つができる」程度の説明だった。

本章は「その計算を具体的に追う」章だ。

これが分かると、次章(15_ペリ環状反応)のウッドワード−ホフマン則が「HOMOとLUMOの形を見るだけで反応が予測できる」ことの根拠を理解できる。「銃を取れ、戦うのだ」という著者の言葉通り、鉛筆を持って読み進めてほしい。


1. LCAO法 — MOはAOの「混ぜ合わせ」

1.1 波動関数の意味

原子軌道(AO)を φ で表す。φ は電子の存在状態を記述する波動関数であり、空間の微小体積 dτ に電子が見つかる確率は φ²dτ で与えられる。全空間で積分すれば確率は1になる:

∫φ²dτ = 1   ...(1)

物理的に意味を持つのは φ そのものよりも φ²(電子密度)である。

1.2 2つのAOからMOをつくる

原子AとBがそれぞれ1個の電子を持ち、AOが φ_A、φ_B であるとする。2つのAOが混合して分子軌道(MO)Ψ を作るとき、LCAO(AOの線形一次結合) を使う:

Ψ = c_A φ_A + c_B φ_B   ...(2)

c_A、c_B は 係数(coefficient)。後述するが c_A²、c_B² はそのMOにおいて原子AまたはBに電子が「どの割合で存在するか」を示す。

🖼 第14章 原ページ 1/9第14章 原ページ 1/9

💡 「線形結合」とは単純に「各AOにある係数をかけて足し合わせる」操作。複雑な分子でも原理は同じだ。係数が「ゼロでない」軌道の数だけMOの形の「個性」が決まる。


2. シュレーディンガー方程式とエネルギーの求め方

2.1 HΨ = EΨ

MOのエネルギー E を求めるにはシュレーディンガー方程式を使う:

HΨ = EΨ   ...(3)

両辺にΨをかけて全空間で積分すると:

E = ∫ΨHΨdτ / ∫Ψ²dτ   ...(6)

ここに式(2)の LCAO を代入して E を c_A, c_B で表す。

2.2 重要な積分記号

計算で何度も出てくる積分を略字で表す:

記号式意味
α(クーロン積分)∫φ_AHφ_Adτ = H_AA原子Aの2p軌道に電子1個がいるときのエネルギー
β(共鳴積分)∫φ_AHφ_Bdτ = H_ABAとBの軌道が重なることで生じる安定化エネルギー
S(重なり積分)∫φ_Aφ_Bdτ = S_AB2つのAOが空間的にどれだけ重なっているか

SHMO(単純ヒュッケル法)での近似:

🔑 なぜSを0とおけるか厳密には正しくないが、この近似で「多くの定性的予測が正しく出る」ことが実証されている。理論の美しさより実用性を優先した割り切りだ。SHMO の "simple" の所以。


3. エチレンのMO — もっとも単純なπ電子系

3.1 永年行列式を立てる

エチレンは2つの炭素A, Bの2p軌道が混合したπ系。SHMO の規則(S_AB = 0、H_13 = 0 等)を入れると連立方程式は:

c_A(α − E) + c_B β = 0   ...(20)
c_A β + c_B(α − E) = 0   ...(21)

c_A, c_B が同時にゼロでないためには永年行列式がゼロ:

|α−E   β  |
|β    α−E | = 0

展開すると (α−E)² − β² = 0 → E の2つの解:

E₁ = α + β  (結合性MO、安定)
E₂ = α − β  (反結合性MO、不安定)

α も β も負の値(安定化)なので、α + β の方がより安定(エネルギーが低い)。

🖼 第14章 原ページ 2/9第14章 原ページ 2/9

3.2 MO係数を求める

式(20)(21)と規格化条件 c_A² + c_B² = 1 を使うと:

結合性 MO:   Ψ₁ = (1/√2)φ_A + (1/√2)φ_B   ...(24)
反結合性 MO: Ψ₂ = (1/√2)φ_A − (1/√2)φ_B   ...(25)

「+と+が同位相で重なる」のが結合性、「+と−が逆位相で押し合う」のが反結合性。

3.3 電子密度

電子密度(electron density) = c² で定義する。

エチレンのΨ₁に2個の電子が入っている(基底状態):

これはエチレンのπ電子2個が2炭素に均等に分布していることを示している。

🖼 第14章 原ページ 3/9第14章 原ページ 3/9

💡 位相(+と−)の意味波動関数そのものは正と負の値を持つ。2つのAOが同じ位相で重なると結合性MO、逆位相で重なると反結合性MOができる。これはラジオの電波の「強め合い(同位相)」「弱め合い(逆位相)」と同じだ。


4. ブタジエンのMO — 4π電子系

4.1 永年方程式を立てる

ブタジエンには炭素が4個(C₁〜C₄)あり、π電子も4個。LCAOは:

Ψ = c₁φ₁ + c₂φ₂ + c₃φ₃ + c₄φ₄   ...(26)

SHMO規則(H₁₁=H₂₂=H₃₃=H₄₄=α、H₁₂=H₂₃=H₃₄=β、それ以外=0)を適用した永年行列式:

|α−E  β    0    0  |
|β   α−E  β    0  |
|0    β   α−E  β  | = 0   ...(30)
|0    0    β   α−E|

4次式を展開すると4つの解が得られる:

E₁ = α + 1.618β  (最安定)
E₂ = α + 0.618β
E₃ = α − 0.618β
E₄ = α − 1.618β  (最不安定)

4.2 MOの形と位相

4個のπ電子はΨ₁, Ψ₂(結合性)に2個ずつ収まる。各MOの係数:

Ψ₁ = 0.3717φ₁ + 0.6015φ₂ + 0.6015φ₃ + 0.3717φ₄
Ψ₂ = 0.6015φ₁ + 0.3717φ₂ − 0.3717φ₃ − 0.6015φ₄  ← HOMO
Ψ₃ = 0.6015φ₁ − 0.3717φ₂ − 0.3717φ₃ + 0.6015φ₄  ← LUMO
Ψ₄ = 0.3717φ₁ − 0.6015φ₂ + 0.6015φ₃ − 0.3717φ₄

係数の符号(+ / −)が位相を表し、符号が変わる場所が節(ノード)。Ψ₁は節なし、Ψ₂は節1個、Ψ₃は節2個、Ψ₄は節3個となる。

🖼 第14章 原ページ 4/9第14章 原ページ 4/9

🔑 節の数のパターン安定なMOほど節が少ない。これはすべてのπ系に共通する法則で、15_ペリ環状反応のウッドワード−ホフマン則を適用する際に「何番目のMOを見るか」を判断する手がかりになる。


5. HOMO・LUMO — フロンティア軌道

5.1 定義

ブタジエンではΨ₂がHOMO、Ψ₃がLUMO。

5.2 図14・6 — C₁〜C₇のπ系MO一覧

教科書の図14・6は、炭素1〜7個からなるすべての鎖状π系についてHOMO・LUMOの係数と位相(S:対称 / A:反対称)をまとめた非常に重要な図。

🖼 第14章 原ページ 5/9第14章 原ページ 5/9

5.3 フロンティア軌道論(福井謙一、1952年)

化合物の反応しやすい場所は、HOMOまたはLUMOの係数 c が最大の炭素原子である。

1952年に福井謙一教授が提唱した原則。例外は一例もなかった。後に「HOMOとLUMOのS/A対称性が反応の立体化学まで規制する」(ウッドワード−ホフマン則、1965年)へ発展し、1981年にフロンティア軌道論としてノーベル賞を受賞。

🔑 なぜHOMOとLUMOか求核側(電子を出す)の最高軌道 HOMO と、求電子側(電子を受ける)の最低空軌道 LUMO が一番エネルギーが近い。相互作用は軌道エネルギーの差が小さいほど強い(摂動論の基本)。だから反応性はフロンティア軌道で決まる。

🖼 第14章 原ページ 6/9第14章 原ページ 6/9

6. 5π系の例 — カチオン・ラジカル・アニオン

5個の炭素からなるペンタジエニル系は、π電子数によって異なるHOMOを持つ:

種π電子数HOMOLUMO
カチオン(+)4Ψ₂(α + 1.00β)Ψ₃
ラジカル(·)5Ψ₃(半充填)Ψ₄
アニオン(−)6Ψ₃Ψ₄

ラジカルのHOMOはΨ₃で、係数は C₁ = 0.577、C₂ = 0、C₃ = −0.577、C₄ = 0、C₅ = 0.577。中心(C₂, C₄)の係数がゼロなのは、Ψ₃が節をもつためだ。

🖼 第14章 原ページ 7/9第14章 原ページ 7/9

💡 π電子数が変わってもMOのエネルギー固有値は同じMOは分子の「部屋割り」。電子数が変わっても部屋の形は変わらない。変わるのは「どの部屋まで電子が入っているか(HOMO位置)」だけ。


7. 結合次数とπ電子エネルギー

7.1 結合次数(bond order)

MO理論から結合次数 p_rs(原子r−s間のπ結合の強さ)を定義できる:

p_rs = Σ nⱼ cⱼr cⱼs

(n_j = MO j に入っている電子数、c_jr, c_js = それぞれの原子の係数)

エチレン(Ψ₁に2個):p_AB = 2 × (1/√2)(1/√2) = 1.000。完全な1本のπ結合。

ブタジエンのΨ₁, Ψ₂から:

これは「ブタジエンはC₂−C₃が単結合に近い」という化学的直観と一致する。

7.2 π電子エネルギーの安定化

ブタジエンのπ電子エネルギー:

2E₁ + 2E₂ = 2(α + 1.618β) + 2(α + 0.618β) = 4α + 4.472β

独立した2本のエチレン(= 2 × 2(α + β) = 4α + 4β)と比べると:

4.472β − 4β = 0.472β だけ余分に安定化している(β は負値なので安定化)。

これが非局在化エネルギー(共役安定化エネルギー)で、ブタジエンが単純な2つの二重結合より安定な理由だ。

🖼 第14章 原ページ 8/9第14章 原ページ 8/9
🖼 第14章 原ページ 9/9第14章 原ページ 9/9

❓ つまずきポイント Q&A

Q1. α と β は実際に何 eV なの?

A. 教科書では α ≈ −7 eV、β ≈ −3 eV を目安として示している。ただし状況(原子の種類、隣接環境)によって変わる。HMO 法では数値より符号と大小関係が重要。

Q2. SHMO で S_AB = 0 とおくのは間違いでは?

A. 厳密には正しくない。しかし定性的な予測(どの位置が反応しやすいか、MO の節の数など)を驚くほど正確に再現する。「近似だが使える」のが SHMO の実力。

Q3. 係数 c とは何を意味するの?

A. c² はそのMOにおいてその原子に電子が存在する確率(電子密度)。c が大きい原子が「そのMOに最も多く電子を持っている」場所。HOMO の c が大きい場所 = 求電子攻撃を受けやすい場所(福井理論)。

Q4. HOMO・LUMO の「フロンティア」とはどういう意味?

A. frontier = 最前線。反応に参加するのは「一番外側の、エネルギーが近い軌道」。HOMO が一番高く電子を出しやすく、LUMO が一番低く電子を受け取りやすい。まさに「反応の最前線にある軌道」。

Q5. なぜ MO の数は AO の数と同じになるの?

A. LCAO 法で n 個の AO を混合すると連立方程式(永年行列式)が n 次式になり、n 個の解(固有値 E)が出る。それぞれの E に対応して 1 個の MO が決まるので、MO の数 = AO の数。

Q6. ブタジエンの E₁ = α + 1.618β の 1.618 って黄金比では?

A. その通り! 4 個の炭素系の場合、永年行列式を解くと係数に黄金比 (1+√5)/2 ≈ 1.618 が現れる。自然の数学的美しさの一例だ。


🧭 章末まとめ — 1枚で復習

AO (φ_A, φ_B, ...) 
  ↓  LCAO: Ψ = Σ cᵢ φᵢ
MO (Ψ₁, Ψ₂, ...) 
  ↓  シュレーディンガー方程式 → 永年行列式
エネルギー固有値 E (= α ± Aβ)
  ↓  E の低い順に電子を詰める
       結合性MO: 電子2個ずつ (HOMO まで)
       反結合性MO: 空 (LUMO から上)

SHMO の近似
  α  = C の 2p 電子エネルギー (≈ −7 eV)
  β  = 隣り合うC−C の相互作用 (≈ −3 eV)
  S  = 0 (異原子間の重なり積分を無視)

フロンティア軌道論(福井, 1952)
  HOMO の c が最大 → 求電子反応の起こる場所
  LUMO の c が最大 → 求核反応の起こる場所
  →次章 W.-H. 則の基礎に

この章のキーワード:LCAO / 波動関数(φ, Ψ) / ハミルトニアン / シュレーディンガー方程式 / クーロン積分(α) / 共鳴積分(β) / 重なり積分(S) / SHMO / 永年行列式 / 電子密度(c²) / 結合次数 / 非局在化エネルギー / HOMO / LUMO / フロンティア軌道


🔗 関連ノート・次への橋渡し

🎯 次のノートを読む前に図14・6(C₁〜C₇のMO一覧)をノートに写し、ブタジエン(4π系)のHOMOとLUMOの位相(+/−)を確認せよ。これが頭に入っていないと15_ペリ環状反応のどの反応例も追えない。


📚 ソース

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