原典:米山正信『有機電子論解説 — 有機化学の基礎』第9章(p.122〜135)INDEX | ← 前へ 08_二重結合への付加反応 | 次へ → 10_カルボニル基の反応
覚える前にこれだけ:脱離は付加の逆。「H と X が隣り合った C から出ていって C=C ができる反応」。どちらの H が取れやすいか(ザイツェフ vs ホフマン)と、どの立体配置が要求されるか(anti)がポイント。
08_二重結合への付加反応で「二重結合への付加(C=C を消費する)」を学んだ。9章はその 逆向き:C=C を作り出す脱離反応だ。
特に E2 の anti 脱離の立体化学と ザイツェフ/ホフマン則の使い分けは、有機合成で「どのアルケンを選択的に作るか」の設計に直結する。
α 脱離:同一 C につく 2 基が脱離する。反応性の高い中間体が生成。
Cl₂C: → :CCl₂ (カルベン、[[12_ひと休みの章]]で扱う)
R₂C=N–N → R₂C: カルベン
R–C=N–OH → R–C=N: ナイトレン

β 脱離(本章の主題):α 炭素(脱離基 X のついた C)と β 炭素(そのとなりの C)から、それぞれ X と H が離れる。
β α
H–C–C–X → C=C + HX
γ 脱離:通常 3 員環を形成する。
追い出し反応(extrusion):X–Y–Z から中間の Y が飛び出して X–Z ができる(15_ペリ環状反応のペリ環状反応で扱う)。
スチレン(C₆H₅–CH=CH₂)は β 脱離反応のモデルとして扱われる。生成経路は5つある:
(1) C₆H₅CH₂CH₂Cl + KOH → スチレン + KCl + H₂O (E2)
(2) C₆H₅CH₂CH₂OH + KHSO₄ → スチレン + H₂O (E2、酸性条件)
(3) C₆H₅CH₂CH₂OH + I₂ → スチレン (E2、ヨウ素)
(4) C₆H₅CH₂CH₂OCOCOCH₃ → スチレン(熱分解) (Ei)
(5) C₆H₅CH₂CH₂N⁺(CH₃)₃ + Δ → スチレン + N(CH₃)₃ (E1cB)
(1) 式の反応を分析する。塩基 OH⁻ が試剤。C₁(α)に Cl、C₂(β)に H がある(教科書の α/β の定め:脱離基のついた C が α)。
なぜ E2 か?(SN2 との分岐):
E2 では 2 分子(基質と塩基)が同時に関与する協奏機構:
β α
B:⁻–H–C–C–Cl → [遷移状態] → B–H + C=C + Cl⁻
β 炭素で生じた非共有電子対(カルボアニオン性)が電子を放ちながら、Cl⁻ が同時に離れる。

Cl⁻ が先に脱離すると:
C₆H₅CH₂CH₂Cl →(遅い律速)→ C₆H₅CH₂CH₂⁺ + Cl⁻
↓(速い)
C₆H₅CH=CH₂ + H⁺
速度式 v = k[C₆H₅CH₂CH₂Cl] のみ → 1 分子反応(E1)。律速段階はカルボカチオンの生成で、これは SN1 と同じ中間体を経由する。
🔑 E1 と SN1 は同じ出発点から分岐する
R–X → R⁺ + X⁻ ↓ ↓ E1 SN1 H⁺が脱離 Nu⁻が結合 オレフィン 置換体どちらになるかは温度・溶媒・求核剤の性質が決める。
(5) 式の四級アンモニウム塩では (CH₃)₃N が出にくいため:
β 炭素の H が先に塩基に引き抜かれ、カルボアニオン中間体ができる
↓
そのカルボアニオンがゆっくりと (CH₃)₃N を追い出す
「共役塩基(conjugate base, cB) がいったんできて、それが 1 分子(E1) 的に脱離する」ので E1cB と呼ぶ。
図9-1(ポテンシャルエネルギー図)では:


2-ブロモ-3-フェニルブタン(ジアステレオマー)の E2 を塩基で行うと:
生成オレフィンの立体が完全に決まっている → 反応は立体特異的(stereospecific)。
これを説明する唯一の機構が anti(E2)脱離:
H と X が「反対側(anti)」のコンホメーションで整列したとき、E2 が進む
anti 形のコンホメーション:Newman 投影式で H と X(または Br)が 180° 離れた位置にある。
MO 計算による説明:
[1] OH⁻ が β 炭素の H を引き抜き始める
↓ 少し遅れて
α 炭素で X⁻ が離れ始める
→ β 炭素上の δ⁻ と α 炭素周辺の δ⁻(X 由来)が相互に反発
→ X の δ⁻ は β 炭素の δ⁻ から可及的に遠ざかろうとする
→ C–C 結合が回転して anti 形のコンホメーションに変化
最終的に anti 形で H と X が同軸上に並んだとき、π 結合形成のための p 軌道の重なりが最大になる:
H
[B:⁻]
| (anti 形)
C–C → C=C + HB + X⁻
|
X
亜鉛(標準電極電位 −0.763 V)を使っても E2 は起きる:
CH₃–CH(Br)–CH(Br)–CH₃ + Zn → CH₃–CH=CH–CH₃ + ZnBr₂
Zn が α 炭素の Br と β 炭素の Br を同時に引き抜く。この場合も anti 形コンホメーションから反応が起きる:
「ハロゲン化アルキルの脱ハロゲン化水素で生じるオレフィンは、二重結合に可及的に多くのアルキル基がついた形のものが主生成物」
例:2-クロロブタン の脱 HCl
CH₃–CH₂–CH(Cl)–CH₃
E2 が C₁–C₂ 間で起きる → [3] CH₂=CH–CH₂–CH₃(二重結合にアルキル 1 個)
E2 が C₂–C₃ 間で起きる → [4] CH₃–CH=CH–CH₃(二重結合にアルキル 2 個)
実際は [4] が [3] の 3~4 倍多い。理由:超共役(CH₃ 基が二重結合の p–π 軌道と重なって安定化)による生成物 [4] の安定性。
ザイツェフ則と 逆の規則:「E2 で生成するオレフィンは二重結合の置換基がなるべく少ない方向に進む」
ホフマン則に従う例:
CH₃CH₂CH₂–N⁺(CH₃)₂–CH₂CH₃ + C₂H₅O⁻
→ CH₃CH₂CH₂–CH=CH₂(ホフマン型, 96%)+ 内部オレフィン(4%)
ハロゲン化物の E2 でも脱離基の種類で変化:
| 脱離基 X | ヘキセン-2(ザイツェフ型) | ヘキセン-1(ホフマン型) |
|---|---|---|
| I | 81% | 19% |
| Br | 72% | 28% |
| Cl | 67% | 33% |
| F | 30% | 70% |
F ではホフマン型が主生成物になる。

「どの β 炭素の H を引き抜くか」で決まる。β 炭素の H の酸性度(δ⁺)の大きさが鍵:
(C₃–S–C₂ の系で考える)
C₂ は CH₃ 基 2 個をもつ → −I 効果で δ⁺ が中和される → C₂–H の δ⁺ が小さい
C₄ は S の +I 効果でδ⁺が大 → C₄–H の δ⁺ が大きい
→ 塩基 CH₃O⁻ は C₄–H に反応しやすい → ホフマン型の [8] が多く生成
大きい脱離基(F > Cl > Br > I)や嵩高い塩基(t-BuO⁻ など)では、内部オレフィン(ザイツェフ型)への途中の立体障害が増して、外側の H が引き抜かれやすくなる(ホフマン型優先)。
💡 実用的な使い分け
- ハロゲン化物 + NaOH(小さい塩基)→ ザイツェフ型オレフィン(安定型)
- 四級アンモニウム塩 + 強塩基 → ホフマン型オレフィン(末端型)
合成で「どちらのオレフィンを作りたいか」で試薬・基質を設計する。
SN1 が可溶媒分解(solvolysis)で多く見られたように、E1 も可溶媒反応で頻繁に起きる。
E1 の決定的証拠となる実験(図9-4):
出発物質が [9](R 体)と [10](S 体)で全く異なるにもかかわらず、得られた E1 生成物の比率は:
[9] から → オレフィン A : 63.7%、B : 36.3%
[10] から → オレフィン A : 64.3%、B : 35.7%
ほぼ同一の比率。これは中間体のカルボカチオンが完全に平面的で、その後の H⁺ 脱離がどちらの方向でも同じ確率で起きることを示す。

Winstein のイオン対モデルを使えば(図9-5):
R–X → [R⁺X⁻] → [R⁺|X⁻] → R⁺ + X⁻
内部イオン対 溶媒分離 自由イオン
E1 はカルボカチオンの段階(III または IV)で H⁺ が離れる反応で、SN1 と同じ中間体を経由する。

A. 同じ基質に対して E2 と SN2 は競合する。一般則:
A. 速度式で判断する:
塩基濃度を変えて速度を測れば分かる。また E1 は SN1 と競合するため、可溶媒条件(水・アルコール溶媒)で起きやすい。
A. 覚えるより「理解して導く」べき規則。H と X の両方が離れる際に π 結合のための p 軌道が重なる必要がある。その重なりが最大になるのが anti 配置。分子模型を使って確認すると一発で分かる。
A. アルキル基の多い二重結合では、C–H の σ 電子が C=C の空の反結合性 π* 軌道と重なりあって(超共役)安定化エネルギーが生まれる。このエネルギーが大きいほどオレフィンが安定 → 生成しやすい。Evans–Polanyi 則(ΔH が大きい方が Ea が小さい)を合わせて考えると「安定な生成物ほど速く生成」となる。
A. 四級アンモニウム塩(R₄N⁺)の脱離では N(CH₃)₃ という嵩高い基が出ていく。SN2 的な背面攻撃は立体的に難しく、脱離(E2)が優先。かつ N⁺ の強い電子求引効果でより H が酸性な末端の β 炭素が選ばれやすい → ホフマン型。
A. エステルや N-オキシドの熱分解で起きる。まず cyclic な遷移状態(6 員環型など)を形成してから、シス(syn)脱離が起きる。E2 が anti 脱離なのに対して Ei は シン(syn)脱離 が特徴的。
脱離反応(E)
├─ α脱離 → カルベン([[12_ひと休みの章]])
├─ β脱離(本章の主題)
│ ├─ E2(2分子・anti 脱離)
│ │ 速度式: v = k[基質][塩基]
│ │ H と X が anti 配置 → π 軌道が形成
│ │ 立体特異的(起点の立体が生成物の E/Z を決める)
│ │
│ ├─ E1(1分子)
│ │ SN1 と同じカルボカチオン経由
│ │ v = k[基質] のみ
│ │ ラセミ化(平面 C⁺ から H⁺ が離れる)
│ │
│ ├─ E1cB(カルボアニオン中間体)
│ │ 四級アンモニウム塩の熱分解など
│ │
│ └─ Ei(内部脱離)
│ cyclic 遷移状態、syn 脱離
│
└─ どこで脱離するか
ザイツェフ則:置換基の多いオレフィン(超共役)
ホフマン則 :置換基の少ないオレフィン(嵩高い脱離基/塩基)
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🎯 次のノートを読む前に2-ブロモブタン(CH₃CHBrCH₂CH₃)を NaOH で処理したときに E2 と SN2 が競合する。どちらが優先するかを「塩基の強さ・温度・求核性」という軸で考え、E2 が優先する条件では「どちらの β 炭素の H が引き抜かれるか(ザイツェフ or ホフマン?)」も予測してみよう。
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