出発物質であるβ-ジケトンは、2つのカルボニル基に挟まれたα位の炭素原子と、そこに結合したプロトンを注目します。
このα位のプロトンは非常に酸性度が高いです。これは、プロトンが脱離して生成するカルバニオン(負電荷を持つ炭素原子)が、隣接する2つのカルボニル基の酸素原子と共鳴することで安定化されるためです。このため、α位のC-H結合は比較的容易に切断されます。
この反応における鍵となる結合形成と切断は、まずエノラートがセレン(Se)を攻撃してC-Se結合を形成することです。そして、最終段階では、酸化されたセレン(セレノキシド)の酸素がβ位の水素を引き抜き、同時にC-Se結合が切れてC=C二重結合が形成される協奏的な脱離反応が律速段階となります。
まず、強い塩基であるNaHの水素化物イオンがβ-ジケトンのα位プロトンを引き抜き、α位の炭素上のC-H結合の電子対がその炭素上に移動してエノラートアニオンを生成します。次に、このエノラートのα位の炭素から電子対がPhSeClのセレン原子を攻撃し、セレン-塩素結合の電子対が塩素原子に移動して塩化物イオンが脱離し、α-セレニル化合物を生成します。続いて、過酸化水素の酸素原子がセレン原子の孤立電子対に攻撃を受け、セレンが酸化されてセレノキシドが形成されます。最後に、このセレノキシドのセレンに結合した酸素原子が、β位の炭素原子に結合するプロトンを引き抜き、β位のC-H結合の電子対がα位とβ位の炭素間に移動して新しいC=C二重結合を形成し、同時にα位のC-Se結合の電子対がセレン原子に移動してPhSeOHが脱離します。
上記の一連の反応により、出発物質であるβ-ジケトンの環内に炭素-炭素二重結合が選択的に導入され、α,β-不飽和カルボニル化合物の一種である2-アセチル-2-シクロヘキセノンが生成します。この生成物は、共役したエノン構造を持つため、求核剤とのマイケル付加反応など、さらなる有機合成の基質として非常に有用です。