この反応の鍵となるのは、ルテニウム(Ru)原子を含むカルベン触媒の「Ru=炭素」二重結合と、基質であるN-Boc-ジアリルアミンが持つ「炭素=炭素」二重結合、すなわちアルケン官能基です。特に、Ruに結合したカルベン炭素とアルケンのπ電子に注目します。
Grubbs触媒のRuカルベン炭素は、金属原子に電子を引き抜かれ、求電子的な性質を持っています。一方、基質のアルケン(炭素=炭素二重結合)のπ電子は、電子が豊富なため求核的な性質を示します。この求電子的なカルベン炭素と求核的なアルケンのπ電子が相互作用することで、[2+2]環化付加という形式的な反応が起こります。通常、熱的な[2+2]環化付加は分子軌道の対称性により禁制とされますが、ルテニウムなどの遷移金属が関与する場合、そのd軌道が介在することで反応が許容され進行します。
[出典: 15章 p6]
閉環メタセシス(RCM)反応全体を通して、鍵となる中間体は「メタラシクロブタン」と呼ばれる金属原子を含む4員環構造です。このメタラシクロブタンが形成される[2+2]環化付加段階と、それが開裂する逆[2+2]環化付加段階の繰り返しが反応の骨子となります。特に、最終段階で気体のエチレンが反応系から自発的に放出されることが、ルシャトリエの原理(平衡反応において、生成物が系外に除去されると、平衡は生成物が増加する方向に移動するという原理)に従い、反応の平衡を生成物側へと大きく偏らせ、律速段階を超えて反応を不可逆的に駆動する主要な要因となります。また、分子内で歪みの少ない5員環が形成されることも、熱力学的に有利な駆動力となります。
触媒サイクルは4段階で進行します。まず、Grubbs触媒のRuカルベン(Ru=CHR)のπ電子と基質の一方のアルケンのπ電子が同時に動き、新しいRu-C結合とC-C結合を形成することで4員環のメタラシクロブタンが生成します。次に、このメタラシクロブタンの環内で電子の再配置が起こり、特定のC-C結合の電子対とRu-C結合の電子対が移動して、脱離基(スチレン)としての一方のアルケンと、基質のアリル鎖に繋がった新しいRuカルベンが生成します。この新しいRuカルベンのπ電子と、分子内の残りのもう一方のアルケンのπ電子が相互作用し、再度Ru-C結合とC-C結合を形成することで、環状構造を含むメタラシクロブタンが生成し、環が閉じられます。最後に、この環状メタラシクロブタンのC-C結合の電子対とRu-C結合の電子対が移動することで、目的とする環状アルケンとエチレンが生成物として放出され、同時にRuメチリデンカルベン(Ru=CH₂)が再生し、触媒サイクルが完結します。
最終生成物は5員環の環状アルケンであるN-Boc-2,5-ジヒドロピロール(またはN-Boc-3-ピロリン)と、副生成物としてエチレン(CH₂=CH₂)が得られます。触媒であるRuカルベン錯体は反応の最後に再生されます。
📚 参考文献
[1] Ferguson, M. L.; O'Leary, D. J.; Grubbs, R. H. Org. Synth. 2002, 80, 85.